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反日デモでパナソニック工場破壊 松下翁の恩を仇で返した中国の品格 (2)

反日デモでパナソニック工場破壊 松下翁の恩を仇で返した中国の品格 (2/3ページ)

2012.9.22 07:15

中国のトウ小平副総理(当時、中央右)と握手を交わす松下幸之助氏(中央左)=大阪府茨木市(パナソニック提供)

中国のトウ小平副総理(当時、中央右)と握手を交わす松下幸之助氏(中央左)=大阪府茨木市(パナソニック提供)【拡大】

  • 中国のトウ小平副総理(当時、右)から協力を求められ、その後交友を深めていった松下幸之助氏(左)
  • 世界最大のプラズマテレビの前で記念撮影に納まる左から松下正幸副会長、中村邦夫会長(当時)、中国の胡錦濤国家主席、大坪文雄社長(当時)=平成20年5月、大阪府門真市のパナソニック本社
  • 松下電器産業(当時)の社員や中国人留学生と歓談し、笑顔を見せる中国の胡錦濤国家主席=平成20年5月、大阪府門真市

 「あなたは“経営の神様”と呼ばれていますね。中国の近代化を手伝ってくれませんか」

 幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と応じ、交流がスタート。翌54年には幸之助氏が訪中してトウ氏と懇談し、北京駐在員事務所を開設した。62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、日本企業で戦後初の中国への工場進出となった。

 感謝を述べる胡主席

 中国が外資を誘致し、外国の資金と技術ノウハウを使って中国経済を成長へと導いた時代。同社も次々と現地で合弁会社の設立を進めるなど経済成長の功労者と位置づけられ、幸之助氏は「井戸を掘った人」とされてきた。パナソニックと社名変更した後も中国だけは現地統括会社の中文(漢字表記)社名として「松下電器(中国)有限公司」を使用しているのも現地での認知度と好印象が浸透していたからだ。

 幸之助氏とトウ氏の最初の出会いから30年後の平成20年5月。来日した胡錦濤国家主席が大阪府門真市の松下の本社を訪れた。

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